Florence Knoll

Florence Knoll

フローレンス・ノル
b. Michigan, USA
1917-2018

パン職人の家に生まれ、12歳で孤児になったフローレンスは、ミシガン州サギノーで育ちました。早くから建築に関心を示し、クランブルック美術アカデミーに隣接したキングスウッド・スクールに入学しました。

キングスウッドに在学中、フローレンスはエリエル・サーリネンの一家と親しくなりました。彼らと一緒にフィンランドでの休暇を過ごし、サーリネン家の友人達との交流を楽しみ、エリエルの息子エーロとの友情を育みました。彼女が築いた交流関係とクランブルックで培ったスキルは、フローレンスの素晴らしいデザイン能力と先駆者的なキャリアの基盤となりました。
エリエル・サーリネンとアルヴァ・アアルトからの推薦を受けて、フローレンスはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるイリノイ工科大学にて、ウォルター・グルピウスやマルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエなど20世紀の偉大な建築家のもとで勉強を続けました。

1941年フローレンスはニューヨークへ渡り、家具会社を設立していたハンス・ノルに出会いました。1946年に結婚した2人は、フローレンスのデザインスキルとハンスのビジネスセンスによって新しい会社をスタイルとデザインに特化した国際的な会社に成長させました。また、彼女は友人であるエーロ・サーリネン、ハリー・ベルトイア、ミース・ファンデル・ローエとの交流も続けました。

フローレンス・ノルは、革新的なプランニング・ユニットを設立し、戦後のアメリカで標準となる近代的なオフィスインテリアを確立しました。 フローレンスとプランニング・ユニットは、IBM、GM、CBSなどを含むアメリカの大企業のオフィスインテリアを手がけました。

フローレンスはKnollのカタログにたびたび自身がデザインした家具を掲載しました。彼女は自分がデザインした家具を、ベルトイア、ミース、サーリネンの傑出した作品を引き立てる「肉とジャガイモ」だと謙虚に例えましたが、細部へのこだわりや、プロポーションに対する観察力、モダンな美しさのある彼女のデザインは、同等に尊敬され、称賛されてきました。

1955年にハンスが悲劇的な死を遂げた後、フローレンスは社長として会社を率いました。
1960年に彼女は社長を辞任し、デザインと開発部門の責任者として専念し、1965年に会社を退職しました(1957年に再婚)。彼女のKnollとアメリカンモダニズムへの貢献は計り知れません。

Florence Knoll