Harry Bertoia

Harry Bertoia

ハリー・ベルトイア
b. Italy
1915-1978

ハリー・ベルトイアは、多大なる才能に恵まれたアーティストでした。 Knollの歴史家ブライアン・ルッツはかつて「ベルトイアの絵画は彼の彫刻よりも優れていた。そして彼の彫刻は彼の家具よりも優れていた。そして彼の家具は本当に素晴らしいものでした。」と言っています。

デトロイト工業高校とデトロイト芸術工芸学校で学んだ後、ハリー・ベルトイアはクランブルックで自ら彫金のクラスを設け、そこでジュエリーデザインと金属加工について教えました。 1946年にカリフォルニアに移り、クランブルックの卒業生仲間であるチャールズ・イームズと、積層合板と曲げ加工の開発を行いました。有名なイームズの椅子にベルトイアが大きく貢献していたことは、あまり知られていません。

イームズとベルトイアと一緒に働いていたハーバート・マッターの提案で、カリフォルニアへ旅行したフローレンスとハンスは、ベルトイアに東部への移住とKnollの製造工場の一角に自身の工房を持つよう薦めました。クランブルックと共に学んだフローレンスは、ベルトイアが創作するための時間と場所が与えられれば、驚くべきものを生み出すと確信していたからです。
Knollの初期の環境では、ハンスとフローレンスはベルトイアに家具をデザインすることを強要しませんでしたが、代わりに彼が好きなものを探求するよう促し、彼が何か面白いものに辿り着いたら、ただ教えてくれるだけでいいと頼みました。言うまでもなく、ハリー・ベルトイアが到達したのは、1952年に発表した彼の代表作であるワイヤー家具のコレクションであり、20世紀最大の家具デザインの功績の一つとして世界中に認められています。 ベルトイアは、ひとつのシリーズしか家具をデザインしませんでしたが、彼は引き続きプランニング・ユニットのプロジェクトに彫刻や建築的なインスタレーションを提供することで、Knollの歴史に関わりました。彼はエーロ・サーリネンが設計したMITチャペルの祭壇もデザインしています。ベルトイアは、その後25年間、光と音の彫刻や絵画、建築のインスタレーションを創り続けました。

今日、Knollはハリー・ベルトイアが生み出した革新的な遺産と美しいベルトイアのコレクションを、世界中に広めています。

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